【ひろしま】実際の被爆者がエキストラとして大勢出演した映画を布教したい

映画

今日は2020年8月6日です。

1945年8月6日午前8時15分にアメリカ軍より広島市に原子爆弾が落とされました。

原爆投下から8年後の1953年(昭和28年)に公開された映画『ひろしま』。様々なしがらみがありこれまでほとんど上映されることはなく「幻の映画」と呼ばれてきました。

幻にとどめたくない歴史的傑作なので紹介していきます!

 

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映画の内容

広島市のある高校の1クラスで白血病により女子生徒みち子が倒れる。戦後広島にやってきた担任の北川は、生徒たちと原爆症について話し合う。

原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日、女教師・米原が生徒たちと被爆し、焦土と化した広島をさまよい、力尽きるまでが回想される。

北川は今まで原爆のことを知ろうとしなかったことを謝罪すると、生徒からは原爆のことを世界の人に知ってほしいとの声があがる。病床のみち子は「軍艦マーチ」が鳴り響く原爆投下前の広島を想起する。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ひろしま

ひろしま」は1945年当時と原爆投下から7年後の1952年の2つのパートに分かれて物語が進行していきます。大庭家遠藤家を軸に話が展開してます。

がっつりネタバレしてますので未視聴の方お気を付けを。

大庭みち子は高校の授業中に鼻血を出して倒れてしまう。そのことをきっかけにクラスで原爆や原爆症についてを話し合う。その中で生徒の一人が「昔クラスメートに遠藤幸夫という男がいて、疎開先から妹と2人で戻ると家族が全員おらず、更には妹も行方不明になり段々と生活が荒れていった」と憐れんだ。またある生徒は「最近戦前の日本を懐かしみ広島市内で軍艦マーチがあちらこちらで流れていることが恐ろしい」と再び戦争が起こるのではないかと危惧していた。

みち子は入院先のベッド内で軍艦マーチが聞こえる中、うつろな表情で1945年のことを思い返していた。

良く晴れた朝、みち子は弟と姉の大庭町子が学校へ出かけるのを見送った。町子の通う学校では疎開作業に竹やり訓練といつもと変わらない日常が始まる。疎開作業中に教師の米原先生が青空の中B29を見つけるが警報が出ていないので皆不思議がっている。その瞬間辺りが激しい光に包まれた。

全壊した家の中から何とか脱出したみち子の母、大庭みねは寺の学童で過ごしていた息子の亡骸を見つける。その頃家のがれきから自力で脱出したみち子は母を求めてさまよいだした。

時を同じくして遠藤幸夫の父、遠藤秀雄は全壊した自宅の下敷きになった妻を助け出そうとしていたが、それは叶わず家は妻と共に炎に飲み込まれてしまった。妻の最期の言葉「子供たちをお願いします」を果たすため、秀雄は疎開作業に動員されていた長男の一郎を捜しに行く。

その頃米原先生率いる町子達クラス一同は、ボロボロになりながらもなんとか川へたどり着き、君が代を歌いながら次々と力なく流されていった。

なんとかみち子と再会を果たしたみねだったが徐々に衰弱していき、避難所でみち子の目の前で絶命した。

黒い雨が降る中、一郎を探し続ける秀雄。とうとう遠くの避難所で一郎と再会するも彼は既に亡くなっていた。

疎開先から戻ってきた遠藤幸夫とその妹が広島の自宅へ戻るとそこは全壊しており家族は誰もいなかった。

原爆症を発症し病院に収容された遠藤秀雄は日に日に衰弱していった。しばらく全壊した自宅の防空壕で暮らしていた遠藤兄妹を近所の人が見つけ秀雄のいる病院に連れていってくれたが、現実を受け入れられない妹はその場から逃げ出してしまった。それが幸夫が妹を見た最後だった。

父を亡くし妹とも離れ離れになった幸夫はその後、他の戦災孤児とともに浮浪生活を送ったのち似島の児童養護施設に入所した。

遠藤幸夫はおじに引き取られて高校に入学するも、やがて退学し、キャバレーでのアルバイトやパチンコで稼ぐなど荒んだ生活を送っていた。

大庭みち子の葬式で久々に当時のクラスメートと再会した幸夫は、荒んだ生活から脱却し、工場勤めをしていると報告した。しかし工場が弾丸を作り始めたことをきっかけに辞め、戦争孤児を集めて犠牲者の頭蓋骨を掘り起こしそれを外国人に売り始めたのだ。

警察に捕まった幸夫をみち子の担任の北川先生が大勢のクラスメートと共に引き取りに来た。一同は次は自分たちが戦地に送られるのではと不安になりながら帰路についた。

 

キャスト

出演者

 

 

感想

たまたま2019年8月17日の深夜にEテレで放送されているのものを視聴しました。

「なんか戦争特集かな」くらいの本当に軽い気持ちで観たんですけど、観終わった後はすこぶる気分が沈みました。

原爆論争が様々あるけど、やっぱり人が普通に生活しているところに落としちゃダメだろ。そんなに落としたいなら小さい無人島とかに落として「やべーだろ!降伏しないと今度こそやばいよ?」って段階踏んで欲しかった。

エキストラに実際に原子爆弾の被害に遭われた方々が出演されたり、女優の月丘夢路さんが広島市出身とのことでノーギャラで出演されたり、劇中音楽はゴジラで有名な伊福部昭さんが担当されたりと、とても気合の入った作品にも関わらず今まで日の目を浴びなかったのは、大手配給会社が「反米色が強い」との理由から配給を拒否したからという何とも不遇な作品です。

戦時中は「鬼畜米英」だのなんだの言ってたくせに戦後は「いやーアメリカさんが~、、」って笑

やっぱり実際に経験された方でないと作れないリアルな本物の作品だと思います。これを終戦から8年後に制作し完成させたことは本当に凄い。エキストラにも広島市民8万8500人が参加しましたし。その他広島市が全面的に協力したとのことですし。

今「311の映画」作るって誰かが言い出したら多分炎上する気がします。だからこんなにも大勢の方が制作を支援するということは、それだけ皆さん後世に伝えたいとの思いがあってのことでしょう。

それほど強いメッセージ性のある作品なのでまた今年も放送して欲しいです。そして多くの人に観て欲しいです。この名作を埋もれさせておくのは本当にもったいない。

 

特に印象的だった場面

①終戦7年で原爆症をdisる風潮

冒頭で原爆を経験した生徒の一人が「最近なんだかだるくて、、」と言ったところ原爆に合ってない生徒が「夏は誰でも怠くなるもんじゃないですかねぇ~~??」や「原爆経験者はすぐ非力アピするわー」とか普通に嫌味言っててビックリしました。

HOW DARE YOU!!

 

遠藤秀雄の奥さんの最期

あなた逃げて!!!子供たちをオネガイシマスー!!!!!!!!」って凄い絶叫。こんな差し迫った演技見たことない。不安と恐怖と臨場感を感じる非常に印象的な名演技でした。

 

③大根の芽

終戦直後「広島には75年は草木も生えぬ」情報が広まって落ち込む患者たちに医者が「大根の種を植えました。芽が出たら広島は大丈夫な証拠となります。」と励まし、みんなで芽が出るのを毎日楽しみにするシーン。唯一の癒しでした。芽?出たよ!

 

④栗が半分でハングリー

遠藤幸夫が所属した孤児仲間のリーダーが皆に英語を教えてる場面。ハングリーの意味は分からず使っています。

このシーン、10歳にも満たないような子が平然と喫煙してるし、ガラの悪いリーダーの二人称が「君!」で丁寧なのが面白いしで突っ込みどころ満載です。

ユー ジェントルマン パパ ママ ピカドンで ハングリー ハングリー

 

⑤オ、ナイスデザイン

遠藤幸夫が頭蓋骨を外国人に売って捕まったシーン。

「おい!クズゥゥゥ!!!」と同時に「はだしのゲンって嘘ついてなかったんだ。。。」と妙に感心しました。

この時幸夫の役者さんが英語を発音よくサラッと話しててカッコ良かったです。半栗ニキじゃなくて幸夫が英語指導すれば良かったのに。

 

戦争について考えてみよう

日本人にとって戦争は遠い過去の出来事となりつつあるので、年1回でも戦争を思い出す貴重なこの機会に、戦争について考えてみたいと思います。

まとめ

平和記念公園の桜 画像提供:広島市

当時「75年は草木も生えぬ」と言われた広島市。本日でちょうど75年目を迎えました。

ゾムビット
ゾムビット

75年は草木も生えぬ?毎年花見楽しめてるぞ!

この映画「ひろしま」デジタル化され北米、欧州、アジアの10ヵ国で上映されたそうです。最近世界情勢が荒れていますが今こそ再度上映して、戦争するとどうなるか、喜ぶ人と悲しむ人はどちらが多いのかを今一度考えて欲しいです。

 

 

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